甲府運輸長の沿革は明治36年(1903年)6月11日の東京〜甲府間の開通と甲府駅開業に先立ち、業務準備のため同年4月1日、甲府駅に鉄道作業局甲府出張所、出納事務所が設置されたことに始まる。 甲府駅開業時の営業状況は1日あたり、乗車人員600、貨物取扱160トン、旅客運賃3等片道甲府−飯田町間1円10銭、八王子間88銭、上野原間65銭、大月間45銭、塩山間18銭、石和間7銭だった。 甲府駅開業は、山梨県の旅客交通、物資輸送に大変革をもたらした。開業前は、東京と結ぶ陸路は甲州街道であり、難所の笹子峠越えに県民は苦しんだ。大量の物資輸送は水路の富士川舟運で静岡回りが常だった。しかし、鉄道の開通により、甲州街道、富士川舟運ともに廃れていった。
明治41年12月、2年前に鉄道作業局から改組したばかりの帝国鉄道庁が廃止され、内閣鉄道院が新設された。同時に甲府駅には鉄道院中部鉄道管理局甲府運輸事務所が設置された。 中央本線・身延線は1987年4月1日の日本国有鉄道(国鉄)分割民営化までは、ともに国鉄の路線であった。しかし、分割民営化によって中央本線塩尻以東はJR東日本、身延線はJR東海の管轄となり、甲府駅はJR東日本とJR東海の境界駅となった。民営化とともに甲府運輸長室も廃止された。このため、「甲府運輸長管内沿革史」は後世に伝えるべき貴重な資料となった。 =============== 【この地域資料の底本は国鉄分割民営化の以前、採録者が甲府運輸長より「お身元におかれて活用していただければ幸いです」といただいた原本コピーです。山梨県内の「国鉄中央本線」で起こった主要な出来事が網羅されており、郷土史研究の貴重な資料であるため、ここに公開いたします。引用される場合は、出典「甲府運輸長管内沿革史(1987年)」を明記していただくようお願いいたします。】 ===============
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