大島正健先生彰徳碑
BOYS BE AMBITIOUS 湛山書
青年奮起立功名 馬上遺言籠熱誠 別路春寒島松駅 一鞭直蹴雪泥行 懐クラーク先生 大島正健
碑誌銘
大島正健先生は安政六年七月二十五日相模国 海老名村名主大島正博と室縫子との四男に生 れ明治七年状況同九年八月札幌農学校の第一 期生となりクラーク博士の薫陶を受け同十三 年七月最上の成績で卒業同校にとどまり後に 教授同十四年平野千代子と結婚同二十六年九 月札幌を去り京都同志社教授ついで奈良中学 校長を経て同三十四年三月山梨県立第一中学 校長に就任爾来十三年間甲府に勤続された 大正三年九月先生は甲府を辞して宮崎に移り 遂には朝鮮に○○渡つてそこの教育にも尽力 され昭和三年三月多年刻苦勉励の余になる支 那音韻史に対し文学博士の学位を贈られ晩年 には東京目黒の令嗣大島正満博士の許に起臥 同十三年三月十一日昇天された享年七十九 今○母校創立八十五周年に際しわれら同窓相 語り定碑して先生の遺徳を顕彰する銘に曰う 東西南北夢古韻付釜十字神来訓清貧八十年 中村星湖並撰書 昭和四十年十月二十三日 大島正健先生彰徳碑建設委員会建之 一宮町 川口浅治郎刻
校舎正面に設置
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