札幌農学校を創設した米国人ウィリアム・S・クラーク博士が日本に残した名言に “Boys be ambitious”(少年よ大志をいだけ) があり、明治、大正、昭和の時代を超えて、日本の青少年に大きな感銘を与えてきた。 しかしながら、クラーク博士が札幌農学校に在職した、わずか8ヶ月の間に校是として指導したのは “Be gentleman”(紳士たれ) であった。 これに対して“Boys be ambitious”の教えは、クラーク博士が明治10年4月、アメリカに帰国するにあたって、ただ一度だけ教え子達に語りかけた別れの言葉であった。その言葉は、1人の教え子により記録され、その教え子が後に教育者となって、次世代へ語り伝えたことにより、日本の青少年に感銘を与える名言となった。
“Boys be ambitious”が名言となるための記録者、そして伝道者としての役割を果たしたのは、札幌農学校の第1期生の大島正健(おおしま・まさたけ)である。大島は同校を卒業後教育者となり、明治33年4月、山梨県知事加藤平四郎に招かれて、甲府舞鶴城内に完成したばかりの県立甲府中学校校長として赴任してきた。大島が札幌で培ったクラーク精神による人格教育は甲府の地で開花し、クラーク博士の“Be gentleman”そして“Boys be ambitious”の2つの遺訓が、甲府中学校での13年間の在職中、学校教育の根幹に置かれた。 この大島校長の薫陶を受けた生徒の中から多くの逸材が生まれ、その1人が後に第55代内閣総理大臣となった石橋湛山である。石橋は大島校長から教えられたクラーク精神の偉大さを周囲に語り伝えた。 甲府中学校の後身である県立甲府第一高校では、現在も大島が伝えた“Boys be ambitious”を校是として守り継ぎ、学校教育の根幹に据えている。
その大島校長の功績は、21世紀の今、札幌市時計台と甲府市山梨県立甲府第一高校にアーカイブとして記録され、私たちはそれを学ぶことができる。 クラーク博士が札幌郊外で、教え子達への励ましとして語られたひとことは、大島校長の記録をもとに、昭和22年に国語教科書に採録された。敗戦にうちひしがれた若者への励ましとなり、さらに20世紀から21世紀へと、時代を超えて日本全国の少年少女の励ましの言葉となり、そして国民の記憶となった。
私たちは何のために記録し、伝えようとするのか? 地域資料デジタル化研究会は、この「記録−伝承」のプロセスが国民の記憶となっていく奇跡の実例を、私たちの街である山梨県甲府の地で発見し、デジタルアーカイブとして採録した。
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