(写真番号 nua00770008b)
入町(いりちょう) :現住所は山梨県南巨摩郡鰍沢町1800番台
江戸時代、徳川家康の命を受けた京都の角倉了以によって富士川が開削され、鰍沢から駿河の岩淵(静岡県富士川町)までの舟運が開通しました。信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削により富士川舟運の要衝地、鰍沢河岸として流通の拠点として大きく発展していきました。 当時の主な積み荷は「下げ米、上げ塩」と呼ばれました。下り荷は甲州や信州から幕府への「年貢米」、上り荷は「塩」などの海産物が中心。塩は鰍沢で陸揚げされ、桔梗俵に詰め替えられ「鰍沢塩」として甲州一円はもとより、信州まで運ばれました。 (以上鰍沢町ホームページより: http://www.town.kajikazawa.yamanashi.jp/fujikawa.html)
入町は、船着き場の近くであること、谷間にあるため日当たりが悪いことを活かし、大正時代から太平洋戦争前までは南川(みなかわ)の水を堰き止めて天然氷を作っていました。木ぬかをつけて溶けないように工夫して保存した氷はこの富士川舟運にも利用されていました。 昭和3年、富士川身延鉄道が富士ー甲府間で全線開通したことにより、富士川舟運は終焉を迎えました。
このページを制作するにあたって、鰍沢町教育委員会の樋口様、入町にお住まいの安藤秀保様、深沢多津子様、写真家であり鰍沢の歴史に詳しい後藤智之様にお話をお聞きしました。4人の皆様に感謝申し上げます。
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