昭和32年7月8日(月)から10日(水)にかけて昭和天皇(裕仁)陛下が皇后陛下とともに来県されました。天皇陛下のご訪問は戦後3回目(昭和22年10月・昭和25年4月)大正11年10月のお出でも数えて4度目でした。 当時の山梨日日新聞には7月5日から11日にかけて歓迎の準備から道のりの様子が連日記録されています。 7月8日昼過ぎ、特別列車で甲府駅にご到着、「日の丸の小旗と群集で埋まった平和通りを春風寮から野呂川林道に向かわれた。両陛下のご入県は七年ぶりなので市内のお迎えはざっと五万人を数え、屋根の上、ロータリーのサクから木の上まで鈴なりだった。」(7月9日より抜粋) 山梨日日新聞によるとその行程は以下のようでした。 8日(春風寮→野呂川林道→常磐ホテル)、9日(太平醸造→藤野木分校→御坂峠頂上→沖新畑国有林(ハリモミ林)→県立富士博物館→河口湖ホテル新館)、10日(富士山五合目→大月駅) 陛下は知事から県内事情をお聞きになり当時の天野知事の話として「陛下は麦作、養蚕、地方病についてもご心配の質問を寄せられたので、『麦の被害は幸い少なく、地方病も米作中心を多角作に切替えていけば防げるでしょう』とお答えした。」(7月9日より抜粋)とあります。 (写真番号 nua02550015b)
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