太平洋戦争で焼け野原と化し、駅舎と貨物ヤードのみが残っていた甲府駅前広場。その再建事業は昭和26年にほぼ終了した。昭和33年の写真を見ると、広場には円形の花壇が造られている。その後、昭和35年に水晶をイメージした噴水が建てられ、昭和61年の甲斐路国体の時まで甲府駅前広場のシンボルとして愛された。 甲府市発行の「甲府物語」と見比べると、ここで紹介する中山氏の写真は昭和35年より以前の撮影と考えられる。 広い駅前広場とそれに続くメインストリートは県庁所在地の玄関として立派に建設された。このメインストリートは平和を願って「平和通り」と名付けられ、輝くネオンは高度経済成長の時代に続く。前半は夏。後半は冬。
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