伝板垣駿河守信方の墓 武田一族の信方は、信虎・震源の父子 二代に仕えた重臣(家老)である。 始祖は甲斐源氏の板垣三郎兼信で 延徳元年(1489)に生まれた。 青年信玄のよき補佐役となり、若き 信玄にとっては頼りがいのある武将で あったといわれる。 天文11年(1542)6月、信玄の 諏訪攻略の副将になって采配を ふるい、諏訪郡代になる。 天文17年(1548)2月信濃の 雄、村上義清との上田原合戦が 下之条から上田原付近で行われ、 浦野川や産川を境として激戦が 展開された。この戦いで信方は 下之条付近に於いて、村上軍と戦い 壮烈な討ち死を遂げた。 信方は愛煙家であったと言い伝え られ、今もこの墓を訪れる人々に よりタバコが墓に供えられている。
|