上田小県は、古くは江戸時代から明治・大正・昭和にかけて蚕糸業で繁栄し、大正6年(1919年)に市制を施行した上田市とその後背地域である小県郡が、「蚕都上田」と呼ばれるにふさわしい繁栄の時代を築きました。
蚕都上田プロジェクトでは、蚕糸業で栄えた上田小県を顕彰し、この地域を育んだ蚕糸業、蚕都の経済力によってもたらされた建造物・近代化産業遺産などの文化財、上田紬に代表される絹の文化、それらの背景にある歴史を上田のまちづくり・人づくりに活かす市民参加型の活動を行っています。
平成21年度には、長野県地域発元気づくり支援金の助成を受けて地域活性化事業「蚕都上田お宝発見2009」を実施しました。この事業では、蚕都上田のまちづくり・人づくりを始動させるため、蚕都上田展(藤本蚕業歴史館の開設記念展示、上田つるし飾り「甦る布展」など)、上田市立博物館企画展「蚕都上田と横浜開港」との連携による蚕都上田展巡回ツアー、二回に渡るシンポジウムの開催(「蚕都上田お宝発見〜歴史と文化〜」「蚕都上田のまちづくり・人づくり」)、四回にわたるまちあるき(西塩田・別所編、飯沼・丸子編、塩尻編、市街地編)、近代化産業遺産めぐり〜群馬編〜、キッズプログラム、蚕都上田マップ作成などを行いました。
この冊子は、上田市立博物館で開催された「蚕都上田と横浜開港」展に展示した資料を中心に、その展示パネル制作を行い、それらを抄録したものです。
上田小県の蚕糸業は江戸時代に盛んになり、江戸時代後期には、蚕糸業とりわけ蚕種製造業においては、日本一の地位を占めるようになりました。優れた蚕種製造家も輩出し、藤本善右衛門保右は『蚕かひの学』(天保十二年、1841年)を、清水金左衞門が『養蚕教弘録』(弘化四年、一八四七年)を著し、上田の蚕種を全国に広めるのにも大きく貢献しました。さらに、横浜港が安政6年( 1859年) に開港すると、上田の蚕種や生糸が欧米に輸出されるようになり、蚕都上田の歴史が織りなされていきました。
私たちは、ある意味、歴史の彼方に埋もれている古い資料をデジタル化し、パネル展示したり、インターネットで閲覧できるデジタルアーカイブサイトにすることによって、歴史の再発見、蚕都上田の文化の発見が促されるようにデジタルアーカイブ化の取り組みも実践しています。
これらの資料集が「蚕都上田」を知る手がかりとなり、蚕都上田のまちづくり・人づくりのお役に立てていただくことを願っています。
平成22年3月31日 蚕都上田プロジェクト事務局長 前川道博
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