小県蚕業学校初代校長 三吉米熊胸像 米熊は長門国長府藩士三吉慎蔵の長男として、万延元年(一八六〇)山口県下関市に生まれた。成人し上京後、駒場農学校(現東大農学部)を卒業。同郷出身者の薦めがあって長野県の職員となる。その後蚕業事情視察のため渡欧し、二年間養蚕技術を習得帰国後、明治二十五年日本で最初の蚕業教育の学校である小県蚕業学校(現上田東高等学校)の初代校長に就任。また、明治四十三年開校の上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)の創立委員と教授を兼ねた。昭和二年逝去するまで実に三十六年間蚕業教育に情熱を傾けた。当時の日本経済を支えた蚕糸業に寄与した功績は計り知れない。
米熊の父の慎蔵は、薩長同盟締結や大政奉還に尽力した土佐の坂本龍馬の盟友「槍の慎蔵」として知られている人物である。維新後も明治の元勲らとも交流を続け、龍馬と同様に新しい日本の夜明けの礎を築いたひとりである。
米熊は父慎蔵と同じく中央から立身出世の再三の誘いがあっても、栄達を望まずこの異郷の地、上田で終生蚕業教育発展のために身を捧げたのである。
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