1892(明治25)年、小県蚕業学校が設立された。当初は上田市立清明小学校の近くに開校し、その後の変遷の後、現在の長野県上田東高校の敷地に移転した。日本の基幹産業であった蚕糸業を支える養蚕業は全国各地で営まれ、各地で養蚕を指導する指導者、いわゆる「養蚕教師」を養成した。生徒は全国から集まり、寄宿舎が設けられていた。
上田東高校の構内には蚕業学校時代をしのぶしだれ桑が植えられている。小県蚕業学校は1944(昭和19)年、米軍機の爆撃を受けて炎上した。校内には爆撃の際に黒ズミになった欅の痕跡が今なお残っている(「戦災記念ノ欅」)。
「校基百年」碑の裏面には小県蚕業学校の校歌(土井晩翠作詞、岡野貞一作曲)が刻まれている。
|