カテゴリ: シルクスポット 地域: 須坂市 (登録日: 2017/04/04 更新日: 2018/02/27)
長野県須坂市の偉人として真っ先に出てくる人物は「越寿三郎」ではないでしょうか。「越寿三郎」は製糸王とまで呼ばれた人物で当時従業員が6000人以上もいた「山丸組製糸業」の創始者であり、信越電気株式会社(現中部電力梶jを起こし、信越窒素肥料株式会社(現信越理化学梶v)も起こしたのです。その「越寿三郎」が次男「泰蔵(やすぞう)」のために購入した家が、現在も春木町に残されています。
「山丸一番館」と名づけられたこの館は、平成10年に土地建物を須坂市が譲り受け、現在は高齢者のふれあい施設、各種歴史資料の保管と研究施設として利用されています。「山丸一番館」とは、この建物の電話番号が昔「1番」だったことからつきました。1番ということは須坂で1番目の電話ということなのです。施設内で目を見張るものは玄関の切石の大きさ。これは須坂市内の「クラシック美術館」の玄関の切石に匹敵するくらいの大きさがあるのではないでしょうか。あと、畳36畳にもなる客間も圧巻でした。客室の梁<ハリ>も太く見応えがありますよ。館内には山丸組の社員の法被<ハッピ>が「三越呉服店」の当時の袋と共に展示されていますし、芸術家「吉田博」の明治時代の須坂の様子を書いた風景画も飾られています。この「山丸一番館」の建物は質素でありながら、要所要所が凝った作りをしています。(あちこち細かく見てください)平成15年には国の登録有形文化財に指定されました。