地域: 長野市(松代) (登録日: 2017/02/06 更新日: 2018/02/27)
・明治維新以来、松代地域の疲弊した経済の救済と繁栄を図ろうと、大里忠一郎等は同士数名と共に謀りこの地方に適した産業として当時輸出産業第一位の製糸業に着眼し、製糸場の設置を計画した。そして国内唯一の官営富岡製糸場(群馬県)にならい、明治6年(1873年)2月、民間蒸気製糸場の建設を始めた。横田数馬の助力を得、同士9名が資本金2千円を拠出、約千円を他より借入、銅製の蒸気釜の考案など苦心しつつ繰糸場、釜場、水車、工女部屋、薪置場、用水池、帳場、炊所、浴室等を備えた「六工社」をこの地(西条六工(ろっく)に創設した。 社長には春山喜平次、副社長に大里忠一郎 が就任し、工女50人繰りの規模であった。明治6年3月、富岡製糸場へ伝習のため派遣された横田英他15名が帰るのを待って、明治7年8月25日に「大日本帝国民間蒸気器械の元祖六工社」(和田英・旧姓横田「富岡日記」)が創業を開始した。六工社は、わが国民間フランス式改良日本型蒸気製糸場の創始であり、「六工社生糸(きいと)」の名は国際的にも知れわたった。松代史跡文化材開発委員会
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