『信濃商業新報』1912(明治45)年5月25日付の「雑録」には外国(欧州、中国(支那))の蚕況が記されている。1912年の中国は辛亥革命の翌年に当たるが、繭の生産はその影響を受けていないと伝えている。伊豆の新繭と生糸の10年間の相場の推移も興味深い。明治初めから右肩上がりだった繭の生産量は1903(明治36)年以降も概ね伸び続けているが、このデータを見る限り、相場は横ばいないし微減の傾向にあり、厳しい相場の状況であったことがわかる。
記事「工女慰安」は純水館で働く1000名以上の工男工女が小ゥ駅から長野駅に特別列車24両に搭乗して慰安会をしたことを報じている。純水館の福利厚生が社員の意識を高めていること、この慰安会においての一糸乱れない行動は「平素の教育訓練の行き届いたる事」の現れであると賞賛している。
(文責:前川道博)
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