朝、月岡温泉を発って福島潟へ。中之通の交差点を過ぎ、大通川を渡って福島潟干拓地に入りました。農免道路「東部中央地区」の標識が出ています。実に立派な農場で、まずそのことにびっくりです。国営福島潟干拓事業が始まったのが1966年。戦後の米不足が解消し、米余りへと転じる頃に干拓事業が始まったわけです。私の実家の近く、やはり国営事業としてほぼ同時期に推進されようとしていた霞ヶ浦の高浜入干拓事業は中止に至ったことが思い出されてきます。干拓されてよかったのかどうだったのかは、この土地の者ではないですし、わかりません。干拓地ではハクチョウ(おそらくコハクチョウ)が餌をはんでいます。渡り鳥の棲息環境が狭められつつある現在、このような広大な田圃がその餌場となり、渡り鳥に役立っているのはよかった、という見方もできるかもしれません。
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