12/13、NHK BSで野田秀樹演出、井上道義指揮による『フィガロの結婚』が放送されました。録画して後から見ました。 http://entre-news.jp/2015/11/26566.html
2015年10月、東京芸術劇場での公演です。 https://www.geigeki.jp/performance/concert054/ 「庭師は見た」という副題もほほえましい。野田秀樹氏が次々に仕掛ける演出のアイデアの面白さに脱帽しました。欧米を鑑に西洋音楽、オペラを導入してきた日本がここにきて欧米を模倣する優等生的アプローチから、アーティストならではの自由なアプローチによる上演に初めて接したというほどの快いインパクトを受けました。
私は『フィガロの結婚』は最も好きなオペラの一つです。 次は『フィガロ』については個人的に書き記した数少ない記事です。 →http://www.mmdb.net/yamagata-net/usr/mae/oto/page/A0039.html
長年オペラを愛好しながらもオペラの日本人による上演に対して違和感を持つことしきり。日本人歌手がヨーロッパ人の役で登場して違和感がないことの方がおかしい。西洋人が歌舞伎を演じたら観客にどう見えるかを想像してみてください。どうやってもごまかせるものではないのに、そのことを見て見ぬふりをしてすませてきたというのがこれまでの日本人によるオペラ公演ではなかったか。日本語訳で歌う場合の違和感や聞き取りにくさも目にあまるものがあります。もう少しどうにかならないのか。さらには歌手たちは芝居を学んでいるわけではないので、オペラで何らかの役を演じると下手さが鼻についてどうしようもない。
新国シンドロームもそういう積年のもやもやのもたらした文化的トラウマです。 http://sns.orahonet.jp/blog/blog.php?key=15398 こうした積年の課題、もやもやを一挙に払拭してくれたのがこのたびの野田秀樹氏による演出です。
物語は幕末頃の長崎に置き換わっていて、フィガロ、スザンナ、庭師などの庶民階級は日本人歌手が日本人役(フィガ郎、スザ女、…)で出てきて日本語で歌い語り、伯爵や伯爵夫人などは外国人歌手が出てきて、そのまんまイタリア語で歌うという趣向です。日本語とイタリア語が混在しても全く違和感ないように工夫されていて感心しました。観ていて楽しい。これまでこういう質のオペラ公演には接したことがありません。野田氏が演劇界からオペラ上演に新風を吹き込んでくれたという快い印象です。
フィガ郎、スザ女の2人の主役は演技もうまく、歌もセリフも聞き取りやすく、日本人による悪いイメージを払拭してくれるものでした。
面白いのは思春期を迎えた少年ケルビーノを女性でなく、カウンターテナーの男性歌手が演じたこと。ケルビーノ役は確かに違和感あるものだったと思い、なるほど…。
たまたま昨日12/19の夜、FMで『ヘンゼルとグレーテル』の日本語による上演の録音が放送されていました。日本語が聞き取りにくいものでした。
私がオペラを生でも聴くようになったのは1980年頃から。外国のオペラハウスの引っ越し公演は文句なしに堪能し、日本人によるオペラ上演は「そういうものか」と割り切って観てきました。あれからも30年以上が経過し、日本でも西洋音楽の受容がさらに深化して、日本のオペラ界が底上げされてきたということではないだろうかと受け止めることができました。
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