私が韓国の文化の中で特に親しんだものの一つに韓国歌曲があります。2017/3/30の夜、年度末のやり残しの仕事を終えてどっと疲れて家に帰り、ソファに腰を下ろすと、体が動かず、手元のタブレットを手にしてふと心の中に浮かんだ歌曲『碑木(ピモク)』をネットで聴き始めるうち、ついつい韓国歌曲と韓国語の世界に引き込まれてしまいました。
★『碑木』の歌詞 6・25戦争(ユギオチョンジェン=朝鮮戦争)の凄惨な情景の記憶を静謐な詞に託した歌。そもそもどんな歌詞なのだろうかと思い、恥ずかしながら試しに訳してみました。ハングルの辞書を引いて訳すのは久しぶりです。意味を取りにくい単語がいくつかありました。何ヵ所か訳しにくいところは少し意訳をしました。 『(碑木)』 作詞:韓明煕(ハンミョンヒ)、作曲:張一男(チャンイルナム)
♪硝煙が流れて行った深い渓谷 深い渓谷の陽だまりの方へ 雨風と長い歳月で名前のわからぬ 名前のわからぬ碑木よ 遠い故郷 小学の友を残してきた空が 懐かしい 節々が苔むしたね
♪野鹿の鳴き声 月明かりに照らされ 月明かりに照らされ過ぎ行く夜 一人佇み 寂しさに泣いて疲れ果てた 泣いて疲れ果てた碑木よ その昔日の純真な追憶は切ない 悲しさの一つ一つが石になって積もったね
昔から聞き馴染んだ曲の一つでしたが、「碑木」についてはこだわることなく聞き流していました。内容自体、望郷の思いを歌っていることはわかります。ただ6・25であるとわかる記号がキャッチできていませんでした。チョヨン(硝煙)の同音異義語はいくつもあってよもや硝煙だとは思えない。韓国人でも硝煙の意味で捉えられない人は多いのでは? 碑木自体、石碑ならぬ木碑と捉えられます。昔からの習俗ではないだろうかとの類推も邪魔をしました。この辺は本当に教養レベルの認識の問題です。6・25で亡くなった人々の墓代わりの木碑。木柱の上に鉄兜が置かれてあれば、それは兵士の墓だとわかります。遅まきながら私の中にもその理解が伴いました。
20世紀ほど韓国・朝鮮の人々にとって受難の歴史はかつてなかったのではないか。日本による圧政、6・25の悲劇、6・25からの復興…。まさに「戦争は終わった、しかし今も続いている」という状態です。
『碑木』は、同じ民族同士が殺し合った凄惨な6・25を扱っています。民族の鎮魂歌と言ってもいい。激しく癒されない悲しみをこのような静謐な歌にし思いを伝える。朝鮮初の歌曲とされる『鳳仙花』(1919年、ホンナンパ作曲)も庭の鳳仙花に民族の悲哀を託して歌った静謐な歌でした。
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