去る11/20、水戸室内管弦楽団のコンサートでハイドン/交響曲102番を聴きました。曲も演奏も好印象であったことは以前のブログにも記しておきました。
★久しぶりに水戸室内管弦楽団 http://sns.orahonet.jp/blog/blog.php?key=15450
先日、手元にあったCDで同じ曲を聴いてみました。生演奏ほどの感動は伴いませんが、やはりよかった。再度聞き直してみると、印象は変わることなくモーツァルト風です。ちょっと面白い。かといって、モーツァルトのようなインスピレーションに溢れた天才的な楽曲とは異なり、ハイドンらしい律儀さというか、モーツァルトに比べた場合の地味さはあります。
ついでに交響曲104番「ロンドン」も聴いてみました。うーん、いい曲かもしれないけど、とても聴きたい曲かと言われれば、それほどでもない。
そんなことを思っているうち、何となく再び聴いてみたいと思い浮かんだ曲が2曲。一つは交響曲45番「告別」。あの悲しげな終曲がいい。もう一つは弦楽四重奏曲「皇帝」。第2楽章がドイツ国歌にもなったあの有名な曲です。第2楽章の主題のメロディーには品格があり、かつ憂いを含み、ややウェット。この主題がとてもいい。私のお気に入りです。この楽章は変奏曲形式であるという点でも希有な楽曲です。緩徐楽章はふつう3部形式とかになります。記憶にある限り、弦楽四重奏曲や交響曲などで変奏曲形式の楽章は聴いたことがありません。まず主題が提示され(約1分半)、第1変奏から第4変奏が続きます。各変奏は出だしが非常にはっきりと主題を提示して変奏に入るので、聴きながら第1、第2、第3、第4とはっきりと区別しながら聴くことができます。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団は私のお気に入りで、このCDはその演奏。演奏の歯切れがとてもよく、感情的な表現は入れないで機能的に演奏してくれます。曲想はウェットでもウェットに演奏されると聴かされる側としては、感情表現がまとわりすぎるような鬱陶しさになるので、これぐらいクールな演奏でウェット気味な曲をさらりと演奏してくれる方が、かえって憂いの陰影を立体的に造形してくれて、心に響いてきます。
これを聴いて、もしかするとハイドンの魅力は憂いのある感情表現にあるのではないかという気づきを得ました。交響曲の父と言われ、楽曲の構成が何かと言及されがちですが、ハイドンは感情表現がもっと評価されていいと思い至ってきました。
「皇帝」は意外にベートーヴェンの弦楽四重奏曲を想起させます。がっちりした構成はハイドンもベートーヴェンもよく似ています。ベートーヴェンがハイドンをお手本にしたのか、作風が近似していたのか、とても近いものを感じます。ベートーヴェンに比べると、「皇帝」は実にシンプル。
交響曲の『告別』も聴いてみたい。他のハイドンの弦楽四重奏曲にも興味を引かれているところです。
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