モーツァルトのオペラがどれほど生活を豊かにしてきたか、計り知れないものがあると感じています。とりわけ『フィガロの結婚』はあらゆるオペラの中でも素晴らしい。人が生きていることの喜び、幸福感を感じさせてくれるオペラは滅多に出合えるものではありません。
なぜ『フィガロ』がそこまで素晴らしいと感じられるのか。モーツァルトの楽曲がいい。それに加えてダ・ポンテの台本の妙味が輪をかけて素晴らしい。ドラマを歌い演じるのがオペラですが、ダ・ポンテのオペラはドラマティックな展開は必ずといっていいほど、○重唱の展開をとり、てんやんわやのドタバタ、形勢逆転や駆け引き、ちぐはぐなままの重なりとなって舞台が、音楽が、ドラマが俄然生き生きとして弾んできます。そこにこそオペラの真骨頂があります。
普通はそれを舞台で上演される芝居として私たちは鑑賞をするわけですが、先日、スカパーのクラシカジャパンで、ダ・ポンテのオペラ3作品を演奏会形式で演奏するというめずらしい試みの上演記録が放送されました。
★クラシカジャパン/アーノンクールの『フィガロの結婚』2014 http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CU1503 ★同/『コジ・ファン・トゥッテ』 http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CU1439 ★同/『ドン・ジョヴァンニ』 http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CU1437
番組の解説によると、劇場の演出家の降板騒ぎで、『コジ・ファン・トゥッテ』の新演出による公演ができなくなり、急遽、ダ・ポンテ三部作を演奏会形式で上演することになったらしい。普通、オペラの演奏会形式は、オペラ上演をするには準備もお金もかかり、手軽に済ませるものという印象が強い。また、通常のコンサートにオペラの演奏会形式を取り入れるケースもあり、正直、そのような演奏会形式はつまらない、という先入観が働きます。
しかし、この演奏会形式の公演に接し、そうした先入観や杞憂は一気に払拭され、オペラの楽曲そのもの、音楽自体が放つ魅力に引き込まれました。特に引かれる理由はいくつかあります。
第一にはニコラウス・アーノンクールの楽曲の解釈とその演奏法。ピリオド奏法というのは、その時代の音楽の演奏方法を現代において採用する奏法のこと。アーノンクールの手兵、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏が聴き応えします。聴き慣れたオーケストラと演奏の質が違う。それに加えて、アーノンクール独特のテンポの抑制があります。本来、ドラマティックに展開する部分はそのドラマの感情に沿うように速くなったり、盛り上げたりするものですが、ところどころ、非常に抑制が効いてそのドラマ的感興を意図的に殺ぐような展開になります。普通に歩けば普通の歩行なのに必要以上に遅いと足がつんのめる感じに似ています。と同時に、メリハリが効いて、楽曲が研ぎ澄まされた刃物のように切れ味鋭くなります。ある意味、音楽の同化作用・異化作用が同居し、通常のオペラ上演では体験できない、楽曲の絶対性、楽曲優位の音楽の面白み、本来、楽曲が内在している面白さの引き出し、といったものを感じます。
第二にはオーケストラも歌手も音楽に専念するため、この上ない音楽の質の高さを前面に押し出すものとなり、聴いていて非常に面白いパフォーマンスになること。ある意味、ドラマがあまり演じられていないからこそ、音楽に集中して、劇音楽であるオペラの音楽の特性が感じられてきます。
これまでに体験したことのない、オペラの音楽の醍醐味を体験しました。実に衝撃的な、得がたい音楽との出会いでした。
|