武満徹メモリアルコンサートはこれで5回目になるらしい。武満のプログラムは毎年聞きたかったのですが、昨年までは山形から遠出していたため、前後のプログラムとうまく組み合わさらないと聞くことができず、地元信州に引っ越したおかげで、この時初めて念願がかないました。 東京に暮らしていた時には武満のコンサートは何度か聞きました。そして、コンサートの最後、ステージに武満徹さんが上がって挨拶するのがいつもの光景でした。人となりがよく表れる寡黙なしゃべりも印象的で、武満音楽の湧き出しととてもよく似ています。武満さんは、軽井沢の隣の御代田町に仕事場があって、そこで作曲をしていたことが、SKFの地元信州とのゆかりともなっています。 全体の印象として、演奏者が総じて若く、20代が大半に見えます。演奏が若々しい。若手演奏家の研鑽の場として位置づけられているのでしょう。演奏自体はとてもうまいのですが、もっと繊細で豊穣な音を楽しみたいという感想を持ちます。未来に向けてこの若い演奏者の皆さんにも羽ばたいて欲しい。それから武満さんの後を担う作曲家も育って欲しい。猿谷さん、野平さんの作品を採り上げたことにはそういう狙いもあるのでしょう。満足度の高いコンサートでした。
●13人の奏者のための室内協奏曲 5分ぐらいの短い曲。20代の1950年代初めにこういう曲を書いていた、ということが既に歴史的な事実です。音を聴くだけで武満だとわかる、武満サウンド。「カトレーン」や「弦楽のためのレクイエム」の片鱗のように聞こえてしまいます(笑)。
●雨ぞふる この曲は水戸でも聞きました。2度目でも、「ああ聴いた」という感じにはならず、曲目を特定しがたい、あいまいさ。どれも似ている、ということです。違いがわかるぐらいの感性を磨きたいものです。
●トゥリー・ライン 御代田町のアカシアの並木がモチーフだとか。こういう話はイマジネーションをかきたててくれていいですね。信州ではアカシアの花を天ぷらなどにして食べるそうです。大学の裏山にもアカシアの木がたくさんあり、花咲くときにはあのかぐわしい香りに包まれます。ただアカシアは自然の環境の中に無造作にはえてはいても、並木という人工的な風景は現実に見たことがありません。それぐらい、アカシアの並木はないものです。それがこの曲のタイトル。
●ノスタルジア 「水」というモチーフは、武満とタルコフスキーに共通のもの。「雨ぞふる」もそうですが、「雨の樹」はさらに水そのものが音になったという感じの作品。屋内で雨が降るタルコフスキーの映像は、武満以上に武満的かもしれない。武満の「ノスタルジア」の疎らな音空間はまるで「サクリファイス」のあの風景とそっくり。堪能しました。
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