日本の歴史の中で昭和10年代ほど急激な変化を遂げた年代はないと思われます。国は既に大陸への軍事進出を進め、国民にもその足音が聞こえていました。日中戦争の戦局が急展開するのは1937年の「盧溝橋事件」以降です。太平洋戦争、出兵、国民の統制強化、国民生活の窮乏、空襲、焦土と化した国土、敗戦。いわゆる1ディケード(decade=10年)という期間にこれほど国の存亡の変化が詰まった期間はないだろうと思われます。この10年間に「国民歌謡」が重なり合います。
放送を通じた音楽文化の普及啓発。戦前・戦中の「国民歌謡」に始まり、戦後の「ラジオ歌謡」〜「みんなのうた」と受け継がれる放送音楽の起点が「国民歌謡」です。
「国民歌謡」が1936年(昭和11年)に始まったのも振り返ってみれば皮肉なものでした。藍川由美の解説によると、1936年に始まった「国民歌謡」は、1941年には「われらのうた」、1942年には「国民合唱」に名称が変わったと言います。国民に明るく健康的な歌を普及啓発しようとの当初の狙いは数年を経たないうちに崩れ、否応なしに国家統制のプロパガンダの手段へと転じました。藍川由美『「國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』を聞いて、これまで断片的には知っていた「国民歌謡」に対しては、かなり具体的なイメージを得ることができました。
「国民歌謡」が今日あまり知られていないのは、時局柄、国家統制、国威発揚などの曲が総じて増え、過去のいまわしい音楽として忌避されたことに理由があるからでしょう。事実、このCDをがんがん鳴らすと右翼と誤解されることが避けられません。かなりアブナイものであることに留意しつつ、自己責任で聞かなければならないことを強いられるのはいささか窮屈な思いがするものです。
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