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ミッチーのほぼ日記

[14/09/11]山家の「真田氏館跡」

カテゴリ: 真田の郷めぐり2014 地域: 上田市
(登録日: 2014/09/13 更新日: 2024/02/22)

【CC-BY-NC-SA】

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記録日: 2014/09/11 上田市

枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。

この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。

真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて・^田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。
 

説明板クリップ


山家の「真田氏館跡」

ここは戦国時代の真田氏初代幸隆の頃、本原の「お屋敷」に移る前、一族が住んでいたのではないかとみられている場所で、真田の旧集落のほぼ中央(字 山家)にあり、南北約一〇〇m、東西六〇m四方のほぼ平らな土地である。
南西方向から北側は石垣が積まれていて、高いところは約三mほどある。傾斜地にある真田の集落としては、かなり広くまとまった土地で、屋敷を作るために人工的に平らにしたものと思われる。
この敷地には、岩井堂川から引き込まれた用水路もあり、お稲荷さんの祠や、矢竹の植え込みなどが残っており、また、多くの古銭も出土している。
江戸時代につくられた「真田村絵図」には、「上町」「中町」「番小屋」「虎口」「立道」の地名等があり、かなり有力な一族が住んでいたものとみられ、真田町誌編纂の際、調査の結果この場所が真田氏の「館跡」と推定されたものである。
平成二十三年

真田自治会

 

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