岩屋緑地は散策するには広く、小渕志ち(おぶち・しち)像にたどり着くまで時間がかかってしまいました。
小渕志ち(1847〜1929)は、豊橋の製糸業の発展に最も貢献した人物の一人です。1885年(明治18年)、糸徳製糸場を創設し、後に玉繭製糸の器械化、輸出の増大に貢献しました。
製糸業と言えば女性の職業であることを第一に想起しますが、こと実業家という視点から見ると女性の名前は聞きません。小渕志ちは稀有な例です。
銅像の裏には、小渕志ちの業績が刻まれていますが、1929年(昭和4年)の碑文のため、極めて読みにくくなっています。この碑文に昭和4年と刻まれていることから、この銅像が小渕志ちの死後間もなくに建ったものであることがわかります。なお、銅像は戦時中に軍事用に供出されてなくなり、戦後もしばらく台座のみが残っていたことが後からわかりました。
なお、姓・小渕の読み方は資料によって「おぶち」「こぶち」のいずれかで示されています。地元資料には「こぶち」とする扱いが見受けられますが、群馬県出身の「小渕」であることからも「こぶち」とは考えにくい。調べてみると、「おぶち」とするケースが多い。ここでは「おぶち」とします。
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