「蚕糸業要覧」(大正10年12月、農商務省農務局編)の統計を見ると、当時の愛知県は蚕糸業において蚕糸王国長野県に次ぐ第2位の位置にあったことがわかります。蚕種製造では長野県、群馬県に次いで3位、養蚕では長野県に次いで2位、製糸では長野県に次いで2位です。愛知には濃尾平野が広がり、大都市名古屋を中心とした商工業の中心地を形成しながら、当時は長野県に蚕糸業の王座を譲っていたと見るのが至当です。
その後、中京エリアは日本の工業の一大中心地として発展してきました。その中でも自動車産業、とりわけトヨタ自動車の存在は極めて大きい。トヨタは言うまでもなく豊田佐吉が自動織機を発明したことを起源としています。製糸業・紡績業・織物業がその背景にあり、今日の自動車産業の隆盛がもたらされていると見ることができます。
そうした愛知の産業の中で、こと蚕糸業に視点を向けてみると一際存在感のある地域があります。それが豊橋です。「蚕都豊橋」とも呼ばれたように、近代において豊橋は蚕糸業、とりわけ製糸業の一大中心地でした。
産業の栄光盛衰は激しく、さらに戦前からの工業都市の多くは第二次世界大戦で空襲に合い、壊滅しました。豊橋も例外ではありませんでした。現在の豊橋に「蚕都」の痕跡をたどってみようというのがこの企画「蚕都豊橋を訪ねる」のねらいです。
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