真田幸村の銅像がある三光神社の向かいに「新家の北向地蔵」と呼ばれる地蔵尊があります。その地蔵尊の祠に昭和23年に記された縁起が掲げられていました。
「新家の北向地蔵」は、豊臣秀吉が朝鮮再征をした慶長3年よりも遙かに古い頃から祭祀され、当時、三光神社の高台は「姫山」と呼ばれ、その北方の台地は「宰相山」と呼ばれていたと言います。豊臣秀吉の家臣真田幸村がこの両方の台地を地ならしして真田山と名付け、大阪城の外郭出丸としたとこの縁起は伝えています。
今、武将ブーム、真田ブームの折りからこの縁起についてブログなどで紹介した人もいるのではないかと思いきや、ちょっと見つかりません。真田ファンの方などが数多くここを訪れているはずなのですが、どうしたのでしょうか?
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