上田市指定文化財(史跡)
真田信綱の墓
真田信綱は天文6年(1537)、幸隆の長子として
生まれ、父病没の後38歳で家督を継いだが、翌天正
3年(1675)、武田勝頼に従い織田信長と長篠で
戦い、弟昌輝と共に戦死した。
信綱の首級は、家臣白川勘解由兄弟の手により陣羽
織に包まれ鎧と共に大柏打越寺まで運ばれ、墓前の
桜の下に葬られた。その後打越寺は、信綱公菩提所と
して信綱寺と改称された。
享保2年(1717)、寺の移築に伴い、墓所が裏山
の現在の場所に移され、夫人と共に懇に弔われている。
近年、夫妻の墓のとなりに昌輝の新しい墓が建立された。
真田信綱 天正3年5月21日没 享年39歳
信綱寺殿大室道也大居士
真田昌輝 天正3年5月21日没 享年33歳
嶺梅院殿風山良薫大居士
中央が信綱公、左が信綱夫人、右が昌輝公の墓
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