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韓国歌曲「碑木」(비목)

カテゴリ: 演奏・音源セレクション 地域: どこか
(登録日: 2024/07/10 更新日: 2024/07/10)


作詞:韓明熙(한명희) / 作曲: 張一男(장일남)
歌(ソプラノ):シン・ヨンオク(신영옥)
비목 (Bimok) - 신영옥(Youngok Shin)
(YouTube「JartsKorea」チャンネルから埋め込みコードにより参照)

「碑木」と私


私が韓国の文化の中で特に親しんだものの一つに韓国歌曲があります。2017/3/30の夜、年度末のやり残しの仕事を終えてどっと疲れて家に帰り、ソファに腰を下ろすと、体が動かず、手元のタブレットを手にしてふと心の中に浮かんだ歌曲『碑木(ピモク)』をネットで聴き始めるうち、ついつい韓国歌曲と韓国語の世界に引き込まれてしまいました。

★『碑木』の歌詞
6・25戦争(ユギオチョンジェン=朝鮮戦争)の凄惨な情景の記憶を静謐な詞に託した歌。そもそもどんな歌詞なのだろうかと思い、恥ずかしながら試しに訳してみました。ハングルの辞書を引いて訳すのは久しぶりです。意味を取りにくい単語がいくつかありました。何ヵ所か訳しにくいところは少し意訳をしました。
『(碑木)』 作詞:韓明煕(ハンミョンヒ)、作曲:張一男(チャンイルナム)

♪硝煙が流れて行った深い渓谷
深い渓谷の陽だまりの方へ
雨風と長い歳月で名前のわからぬ
名前のわからぬ碑木よ
遠い故郷 小学の友を残してきた空が
懐かしい 節々が苔むしたね

♪野鹿の鳴き声 月明かりに照らされ
月明かりに照らされ過ぎ行く夜
一人佇み 寂しさに泣いて疲れ果てた
泣いて疲れ果てた碑木よ
その昔日の純真な追憶は切ない
悲しさの一つ一つが石になって積もったね

昔から聞き馴染んだ曲の一つでしたが、「碑木」についてはこだわることなく聞き流していました。内容自体、望郷の思いを歌っていることはわかります。ただ6・25であるとわかる記号がキャッチできていませんでした。チョヨン(硝煙)の同音異義語はいくつもあってよもや硝煙だとは思えない。韓国人でも硝煙の意味で捉えられない人は多いのでは? 碑木自体、石碑ならぬ木碑と捉えられます。昔からの習俗ではないだろうかとの類推も邪魔をしました。この辺は本当に教養レベルの認識の問題です。6・25で亡くなった人々の墓代わりの木碑。木柱の上に鉄兜が置かれてあれば、それは兵士の墓だとわかります。遅まきながら私の中にもその理解が伴いました。

20世紀ほど韓国・朝鮮の人々にとって受難の歴史はかつてなかったのではないか。日本による圧政、6・25の悲劇、6・25からの復興…。まさに「戦争は終わった、しかし今も続いている」という状態です。

『碑木』は、同じ民族同士が殺し合った凄惨な6・25を扱っています。民族の鎮魂歌と言ってもいい。激しく癒されない悲しみをこのような静謐な歌にし思いを伝える。朝鮮初の歌曲とされる『鳳仙花』(1919年、ホンナンパ作曲)も庭の鳳仙花に民族の悲哀を託して歌った静謐な歌でした。
 

ネットから関連の情報を拾う


ネットで『碑木』を扱った実に興味深い番組を見つけました。

国防TV 前線夜曲 悲しく美しい歌曲「碑木」(2013年)
6・25の停戦(1953年)から60周年になるのを記念して作った番組らしい。司会者が『碑木』は『カゴッパ(故郷に帰りたいの意)』『懐かしい金剛山』と共に我国の三大愛唱歌曲であると紹介をしていました。いずれも望郷の念を歌っています。とりわけ『碑木』は6・25の鎮魂、金剛山は北側になって行く事のできない望郷の山です。6・25という未曽有の民族的悲劇に芸術的な音楽の源泉がある。3曲のうちの2曲が江原道の軍事境界線周辺(碑木の舞台のヤング郡と金剛山)を題材にしていることは意味深です。

この番組では『碑木』の作詞者である韓明煕氏の話を聴くことができました。『碑木』は、軍事境界線に接する江原道のヤング(楊口)郡で作者が見た情景が源泉になっています。2012年からは平和を願う「勿忘草(ムルマンチョ=わすれなぐさ)芸術祭」がヤング郡で開かれている話題も紹介されていました。

次の記事は『碑木』について参考になります。

墓碑もなく埋められた4万人…碑木は泣いている=韓国(1)
 
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