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サントリーホールの記憶:ブーレーズ・フェスティバル

カテゴリ: 雑記 地域: 東京都
(登録日: 2016/10/02 更新日: 2024/09/30)


サントリーホールが30周年を迎え、サントリーホールで聴いたコンサートを思い出しています。その中でも存在感の大きかったものが1995年の「ブーレーズ・フェスティバル」です。

★ブーレーズ・フェスティバル1995
http://ebravo.jp/archives/24185

ピエール・ブーレーズは私にとっては最も関心のある音楽家の一人です。作曲家であり指揮者であり20世紀の音楽の中でも最も存在感の大きな作曲家の一人です。そのブーレーズが作曲活動と並行して指揮活動をするようになり、むしろその後半生は指揮活動が中心でした。ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲』『ジークフリート牧歌』が対位法的な音楽に他ならないことを最もよく印象づけてくれたのがブーレーズ指揮の演奏でした。ブーレーズがニューヨーク・フィル時代にレコーディングしたものです。標題的、ロマン主義的な音楽が絶対音楽の対位法的作品でもあることを示してくれたその演奏は私にとっては強烈なパンチ。楽曲の常識的な見方を覆されました。

1995年の「ブーレーズ・フェスティバル」は日本でブーレーズの生の指揮が聴ける絶好のチャンスでした。蒼々たるオーケストラ、ロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団が来るだけでも得がたく、他にブーレーズ手兵のアンサンブル・アンテルコンタンポランの生演奏が聴けるというのでこれは万難を排して聴きにいかなければならないと思ったのがその時です。

1995年、私は山形で某大学の助手をしていました。また、インターネット元年とも言うべき年に当たり、「山形国際ドキュメンタリー映画祭インターネットプロジェクト」に取り組んでいました。コンサートの前後に授業や授業以外の仕事があるので、当日、コンサートに間に合うように駆けつけ、一泊して翌日の朝早くに山形に戻る、という強行軍でコンサートを聴きに行きました。

記憶は曖昧です。20年経つと行ったことはおぼろげながらに覚えていますが、どのコンサートに行って、その曲の印象がどうだったかなどが意外なほどに覚えていない。当時、あれほどまでムリして聴きに行ったコンサートなのに…です。

「ブーレーズ・フェスティバル」のプログラムを見ていて私が聴いたコンサートは3つであったことがわかりました。
5/24(水)紀尾井ホール アンサンブル・アンテルコンタンポラン
 ブーレーズ/『ル・マルトー・サン・メートル』他
5/26(金)ロンドン交響楽団 『春の祭典』他
5/31(水)シカゴ交響楽団 ベリオ/『シンフォニア』他

当時、サントリーホールは開館して何年も経過しており、特段、その時の特別な思いはなし。紀尾井ホールは当時竣工して間もなく、新しいホールへ行く感興、また、アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏の質の高さ、といったことで強く印象づけられています。オーケストラ自体は世界最高峰のオーケストラであるにもかかわらず、今となってはそのインパクトや記憶が意外なほどに希薄です。ブーレーズ指揮のレコーディングは、パートの細部まで明瞭にくっきりと音が聞こえるところに一番の醍醐味があり、生のコンサートでもそれを期待しましたが、まるでそういうものではなかった。むしろ期待する指揮とは逆に、オーケストラをあまりコントロールせず、オケを鳴りたいように鳴らせているという印象でした。ブーレーズの意外な側面に触れた感じがしました。ライブで実力を発揮するタイプの指揮者でないことを知る結果となりました。

そういえばスウィングル・シンガーズも聴いたんだな、ポリーニも聴いたんだなと、あらためて当時超一流の凄い面々の演奏者の演奏に立ち会っていたのだな、もう20年前の歴史的な出来事に転じているのだなという認識です。
 
おらほねっと/ミッチーのブログから転載
サントリーホールの記憶:ブーレーズ・フェスティバル 2016年10月02日(日)
https://sns.orahonet.jp/blog/blog.php?key=15975

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