姫路と上田。不思議にこの2つの都市には歴史的につながりがあります。ともに城下町であることに由縁があります。
上田藩主・松平忠固(忠優、後に忠固と改名)は老中となり、幕末、攘夷派との対立が厳しい中、日米和親条約締結、日米修好通商条約を締結し、開国を推進して困難の続く我が国を舵取りし救国、そして貿易立国に導いた先導的な人物です。スケールの大きな政治家でした。その松平忠固は播磨姫路藩主・酒井忠実の息子で、上田藩主・松平忠学(たださと)の養子となった人物です。あの偉大な上田藩主が姫路藩主の息子であったことは、浅からぬ因縁です。考えてみれば、松平忠固の大局を捉え大きな政治的決定を下したのは姫路、もしくは姫路藩主・酒井家の文化的DNAのなせるものであったかもしれません。
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