歌舞伎(かぶき) 歌舞伎という言葉は、もとは「かぶく」という言葉からきています。漢字で書くと「傾く」で、派手で異様な身なりをした人や常識はずれの男たちを「かぶき者」と呼んだそうです。 歌舞伎は、今から四百年ほど昔、江戸時代が始まった年に京都の四条河原という所で出雲阿国という女の人が男の格好で踊りを踊って評判になったのがはじまりです。現代の歌舞伎は、男の人が女の格好をして芝居をしています。
地芝居(農村歌舞伎)(じしばいのうそんかぶき) テレビのなかった時代の娯楽は、人形浄瑠璃(人形芝居)や歌舞伎(芝居)を見ることでした。江戸時代の後半から、農民がお祭りの時に春は豊作を祈願して歌舞伎をやり、秋は収穫を終えて感謝の気持ちで歌舞伎をやるようになりました。
白猿座(はくえんざ) 明治時代の初めの頃、猿橋に白猿座という芝居小屋ができ、とても栄えていました。
昭和四十七年十二月に、火事で焼けてしまって建物は、今はもうありませんが、歌舞伎に使った衣装や小道具など残っているものは、大原よし子さんが大切に保管していて、吉田歌舞伎や藤野歌舞伎の舞台で今も使用されています。 (※このテキストは大月こども歌舞伎公演の配付資料による)
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