五階建繭倉庫は、間口24間、奥行5間、寄棟造、桟瓦葺、土蔵造の建築で、明治38年(1905)に竣工した。
外壁は白漆喰塗りの大壁とし、軒は垂木を蒲鉾形に塗り込めている。庇は、波形鉄板(生子板)で、三階・四階に付けられている(背面は二階にも付く)。
窓は間口方向に一階が19ヵ所、二階が20ヵ所、三階から五階が18ヵ所、妻側に一階が4ヵ所、二階から五階が5ヵ所設けている。窓には鉄格子がはめられている。一階の入り口は裏白戸・板戸・格子戸(網戸)の3枚をいれ、外側に引き戸の土戸を入れる。
多窓式の開口部は、三階繭倉庫と同様、半分が閉ざされ、残りの窓も下側を閉ざして小窓に改造している。窓は網戸と裏白戸とする。
内部の柱は、梁間の中央筋に3間ごとに太い通し柱(7寸前後)を立て、他は4寸ほどの管柱とする。外回りは135mmほどの管柱とする(製品が保管されているため詳細な調査が出来ていない。岡谷市の吉田館などの繭倉庫調査では、通し柱を交互に配置している事例がある)。
階高は一階が8尺、二階から五階が7尺で根太天井とする。小屋組はトラスである。県内に残る繭倉庫としては、吉田館(岡谷市)の六階建が最も高かったが、取り壊されたので、現在では笠原工業の五階建が最も高い木造倉庫で、規模が大きく、貴重な存在となっている。
――信州伝統的建築物保存技術研究会編『笠原工業株式会社上田工場 製糸遺構建築史資料調査報告書』から引用
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