千曲川原にできた上田駅〜松尾町、天神町の誕生〜 of 蚕都上田ものがたり

千曲川原にできた上田駅
 〜松尾町、天神町の誕生〜

2012-07-04
明治21年(1888)8月15日長野―上田間の鉄道が完成し営業が開始された。明治26年には直江津―高崎間が開通し、それ以前に開通していた部分とあわせて上野―直江津間が全通した。鉄道の開通による上田駅の設置により、上田は城下町から商業都市へと転換することとなった。

上田駅の設置は、はじめ町の北方大星川原に計画されたが、太郎山山麓一帯は桑畑が多く、汽車の煤煙が桑の葉に悪影響を及ぼすと反対され、最終的に現在の土地に決まり工事が開始された。当時この土地は段丘崖の下の千曲川河原の荒地であった。
駅の開設に当っては、海野町と原町方面との丁字路から段丘を切り崩して駅までの道路の開削が上田町に割り当てられた。こうしてできた停車場通りにつくられたのが松尾町であった。停車場より海野町へ直線に開通した新道路の工事費には7千余円が必要とされ、地元負担とされた。

駅の設置と松尾町・天神町の形成は、①商業の中心が町の南に移動して、北国街道沿いの鎌原・紺屋町・柳町方面がさびれたこと、②鉄道の乗降客や物資の集散により松尾町界隈が賑やかとなったことなど、町全体を大きく変えることになった。
また、鉄道を通じて大量の物資が動くようになった。例えば、明治23年に89万8239枚の蚕種が上田停車場で取り扱われ、明治32年には、貨物の到着トン数が長野を上回り、上田・大屋駅が中南信地域と北信越・関東の交流点になったことなどが上げられる。

文責:冨田隆順

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明治42年(1909)改築の上田駅
『図説・上田の歴史』(郷土出版社)より



現在の上田駅