蚕糸が結ぶ映画と上田
2012-07-04
鈴木清順監督と映画評論家の品田雄吉さんは無事「あさま」に乗ることができただろうか? 今の様にケータイでの確認もできない状況で、我々スタッフは不安を抱えたまま2人を待った。
その日の朝、日本の中枢部東京がサリンガスによって襲われた、あの「地下鉄サリン事件」だ。平成7年(1995)3月20日、上田では「うえだ城下町映画祭」の前身となる「シネマ&フォーラム’95」が行われようとしていた。
この日の「シネマ&フォーラム」のプログラムは映画「けんかえれじい」の上映と、鈴木清順・品田雄吉の座談会だった。
予定どおり上田に着いた二人は、開演までの時間をロケ現場である上田史跡公園や旧北国街道を訪ねることにしたのだが、最もお世話になった上塩尻の馬場さん宅を訪ねた際、残念ながら当の馬場直次郎さんは前年の12月に他界されていた。折しもその日は、直次郎さん亡くなって最初に向かえるお彼岸の中日だった。監督は撮影時の思い出を熱く語り、馬場さんは我々スタッフにまで彼岸のお萩を振る舞ってくれた。
当初、中心市街地の活性化を図って企画されたこのイベントは、その準備段階から思わぬ副産物を産むことになる。そのひとつが、過去にはロケ地としての上田の再認識であり、未来に向かっては、上田が知的財産の創出装置ともいえる映画(映像文化)の担い手と成りうる資格を得たことであろう。
上田がロケ地としての評価が高い理由は、天気の良さ等様々あるが、その原点にはやはり、馬場さんのような蚕糸業で財を極めた映画好きのパトロン(サポーター)の存在があり、蚕糸業があった。「蚕糸が映画と上田を結んだ」と言っても良いだろう。
文責:山崎憲一