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レクチャー/講師:前川道博
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前川/一言で情報メディアを定義すると、情報を媒介するブラックボックス。
中身の仕掛けがわからないと使えないのは不完全なメディアである。
テレビは日常みているが、その仕掛けを理解しないとテレビを使えないと言うことはない。
パソコンも全く同じだと思う。
メディアの条件はだれでも使えること。
それがブラックボックス。
人とメディアの関係も際限なくなる。
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メディアは手軽に操作でき情報を取り出せるもの。その人の能力を拡大してくれる。
メタ構造というサブタイトルになっている。
今回私を含め5人のかたに話してもらう。
メタを考えるコンセプト。
前回の伊藤さんの話もそうで壁のバリアの問題を捉えた。
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今回もそうだが、未来デザインということでやっている。
未来デザインとはなにか?
定義これは、望ましい未来のメタ構造を作ること。
何が大事か?
一つは原点に返る。温故知新という言葉がある。
ふるいものから新しいものを知るということ。
いま社会で構造改革が叫ばれているが、社会の構造を再編していくプロセス。
いろいろ変わっていく。
意識の改革も含めて、ソフトな構造改革と考えている。
メタと言う概念は定義はいろいろある。上位という概念。境界をなくす。べつのものに代替していく。
上位、いろいろなものを包括していく。学校、地域社会、その境界にメディア環境をもちこんで包括的なコミュニケーションに再編していく。
もっと上位のメディアを作り出していく。
メディアに関してもテレビ、書籍などが別々に存在している。
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既存メディアの代替とは、すでにあるものを代替してそれになりきっていくこと。
それになりきる。それ以上になること。
単純な例でいえば、もう紙と鉛筆を使う気は更々ない。
ワープロを使えば、効率よく考えを表現できるので大歓迎。
昔には2度と戻りたくない。
そういう感想を持っている。
道具がパソコンの中に入っている
すでにそういう現象が起きている。
手紙がメールに変わったのも同じ、革命的な大変化。
博物館や映像保管所なども、例えばネット上、デジタルアーカイブに変わっていく。
こういう方向性を持っている
こういうのがメタメディアの特徴。
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それで、メディアが際限なく増えてきて、うちなんかも機械だらけ。
オーディオとか、ビデオからパソコン、それにパソコンの周辺装置。
この教室の中もすごい。
コードがぐちゃぐちゃで、リモコンの使い分けもたいへん。
目の前にあっても手が出せない状態。
機械の数だけリモコンがある。どうにかしてほしい。切実な問題。
メディアが高度化している。
メディアの変化と共に古いものが無くなっていく。
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ほんとの意味でのメディアにパソコンがなっているか?
何でもできるというのは実は難しい。使いこなせない。つかいこなせない壁になる。
何もできませんと言う選択になってしまう。
操作の手順が増えてくる。
いろんなソフトを使い分けなければならない。
技術的なことがついてきて、言葉が壁になる。
用語が概念的で直感的にはわからなくなる。
直感的に分からないと、ユーザーインターフェースの問題。
キーボード使えません。どうしようと言うことになる。
ソフトもそうだがメニューが増え、本質的作業に専念できない。
伊藤さんの「パソコン支援の会」の仕事になるわけです。
デジタルデバイドの問題がここにかぶさる。
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アラン・ケイという人がコンピュータの進化について30年近く前にやった。
コンピュータがどうなるといいかという問題。
コンピュータは技術革新が激しい。
いまは中途の段階にありますね。
メディアになりきれないところがある。
アラン・ケイという人は、パーソナルコンピュータということばのもとを作った人です。
博士論文を書いた。
1973年にアルトというコンピュータをつくった。
誰でも使えるコンピュータだった。
ダイナブックです。
ダイナブック・・・小さくて持ち運べる。
いまでこそ、これだけ普及したが、子供でも使えて、使っているうちに自分の能力が高まる。
知識にアクセスできる。本来は楽しいもの。
ロックスの研究所で、できました。
モニタがあってマウスで操作する。
絵も文字も扱える。
それが初めてだった。
ネットワーキングされている。
当時の世界にはない概念だった。
一人一台使うなんていう概念は当時なかった。
その後、アップルコンピュータができた。パソコンができた。
初めて普通の人が使えるパソコンというものがでてきた。
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まだ開発中のマシンですが、これなんです。LCDコンピュータと言います。
NECカスタムテクニカのOさんに持ってきていただきました。
これは画期的でキーボードがない。
キーボードがないから普通のノートパソコンのようにぱかっと開かない。
ノート型は、キーボードのせいであのような形になっている。
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ペンで選択できる。
(直接画面をペン状のもので触れる)
無線LANでつながっていてデータにアクセスできる。
PopCornで作ったウェブサイトですが、Windowsがベースになっている。
そのままでは使いにくい。
もっとよくするしかけが必要。
OSを隠して自分の使いたい目的のために変えていい。
画面はブラウザ一つでいい。
発売前の試作品ですが、せっかくですから、皆さんに回してみます。
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実はもう一台コンピュータがあって、ウェブサーバーになっている。
メディアとしてのコンピュータがめざす理想があるから、パソコンが今の方向に向いて進化してきた。
まだ、うまくいってないのは自分の能力を引き出すものになっていないから。
いまだに夢のような気がしている。
アラン・ケイの考えたものは、薄くて軽くて、寝転んで使えるようなもの。
音楽やったりなんでもできるもの。
機械がまだまだ重たいので、もうすこし軽くなって手軽にもてるようになってくるといい。
かなり進化してきましたね。
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ウェブは概念的には歴史的にはかなり昔に遡ります。
MEMEXがハイパーテキストの原型です。
マンハッタンプロジェクトというのがあった。
アメリカの科学者が総動員されたプロジェクトです。
広島に落とされた原爆開発のプロジェクトです。
ブッシュと言う人が1945年、ハイパーテキテキストを使った情報ネットワークを作ろうとしたが夢に終わっています。
ハイパーテキストの概念が出たのはテッド・ネルソン、1965年。
90年にはいって、きわめつけといっていいWWW、バーナーズリーのウェブ、1990年です。
92年に日本でウェブサイトが初めて生まれたといわれている。
筑波研究学園都市でたちあげたことが最近わかった。
インターネットの普及は93年にモザイクが登場してから。
94年に山形ではじめてのウェブサイトか立ち上がった。
行方(なみかた)さんのホームページが最初。
私も芸工大で演習を94年に始めた。
世の中に登場して、爆発的にひろがった。95年に芸工大のウェブを始めた。
96年には商用のプロバイダーが登場。
それが5年前。
一世紀昔のような気さえする。
この5年間の進歩変化はめざましい。
5年経つと本当に隔世の感がする。
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わたしがやってきたことは、95年にウェブサーバー開設。
学生達と大きなプロジェクトをやった。
ドキュメンタリー映画祭でやった。
おおきな取り組み。
96年「ゆとり都山形」のたちあげをやった。これも学生と一緒にやった。
大掛かりだったので人海戦術でやった。
きょうの話題の一つ、PopCornは97年から。
PopCornというのはひとつのソフトです。ウェブサイトを作るシステム。
これでウェブサイトをいろいろ試してみたのが97年。
ポップコーンの歴史がここから始まった。子供でも使えるようにと思ってやった。
それが98年。
PushCornと、あれもこれもやってるので一気に進まないところがある。
今はPushCornのバージョン2を開発中。
ネット上でもっと展開できるよう試作中。
コミュニティを作っている。
昨年PopCornプロジェクトをはじめた。
この2つを並行してやっている。
かすみがうら*ネットというのもやっている。
地学連携、産学連携ということを考えている。
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ウェブは比較的誰でも使えると言うか、アクセスするのは確かに難しくない。
比較的やりやすいが、作る方が問題。みるのに比べて作るのは何倍も難しい。
ここに大きな壁がある。
なかなか作れない人が多いのはツールの問題が大きい。
これもメディアの問題だと捉えている。
ドキュメントという単位でレイアウトするという発想しかない。
ページをレイアウトするという発想しかない。それ以上の機能がない。
ページが何十にもなったときに大変。
これでは情報を発信するのは無理。
状況の変化に無力という面がある。
5年たって、ウェブの状況をみてみると引っ越してしまったページが多い。
リンクするとすぐエラーになる。これでは使いものにならない。
エディタでホームページをつくると、リンクさきが引っ越していたりする。
陳腐化していってしまう。
状況に適合できるメカニズムがいる。
ホームページはテキストとか映像や音を扱っている。
マルチメディアを使っているのだが、素材を作るだけでもたいへん。まっとうにホームページができない。
画像の処理は難しいので、テキストがせいぜいで動画を扱ってる人は少ない。
静止画と動画はツールを使い分けなくてはならない。
対象が増え複雑になってくる。これに対応するのが難しい。
ツールの使い分けが避けられない。
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95年〜96年の頃、学生とやった時は、人海戦術でやった。
力作業だった。
もっと賢くやれば生産性が変わってくると思う。
工業製品の生産方法と同じで、マニュファクチャリングの方法が向上するのと同じで、さらにオートメになって飛躍的に向上する。その辺の問題解決は人海戦術ではいけないという認識は最初からあった。
知的な支援の役に立たなければ、労力ばかりかかってしまう。
10人、20人と分担すると、十人十色になってしまう。てんでばらばら。
10人がてんでんバラバラになるととんでもないウェブサイトになる
だから標準化を徹底してやった。構造を徹底した。
みんなが同じ意識を持って作ったが、けっこうたいへんだった。
だんだん古くなるのでそれに対応できません。
人が変わってくるのが問題。大学は学生がかわってしまう。
メンバーがかわれば、同じをことをするのに初めての学生は1から覚えなくてはならないが、出発点のレベルはいつも同じなので、ギャップを埋めるのが難しい。
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5年、6年やってきたが、本当はもっと多くの人が関わるかと思ったが意外とそれほど増えないのはなぜか。
なんで登録が増えないのかわからなかった。
インターネットの利用者数は毎年倍々で増えて2次曲線を描いている。
「山形Internet Directory」を運用しているが、ウェブサイトの数の伸びはリニア。伸び方がどうもおかしい。相関性がない。
絶対量が少ない。
情報発信する人が少ない。
なぜだろうと思ったが、結構ホームページを見てる人だけが多い。
テレビとか、従来の情報メディアは受け身的なものだった。自分でなにか考えなくても生きて来れた。
ところが、このメディアは自分で使い方を考えないと道具としても価値がない。
先日SPER2001というシンポジウムで、「何をしたいの症候群」について話した。
パソコンで何かしたいことが見つからないと、何も始められない。
「何をしたいの症候群」が深刻。
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